さーふぇす・らいふ

「考えること」を考えてみたいと思ってます。でも、考えを進める速度はカメより遅いかもしれない。

まだ大学がレジャーランドだった時の想い出

自分の大学時代は大学はレジャーランドと呼ばれていた時代だった。
レジャーランドっていうのは、ひとことで言うとモラトリアム時代みたい
な意味で、大学のカリキュラムはひたすらゆるく、ヒマで何もする必要の
ない4年間を過ごせるという意味で別にアミューズメントなイベントがある
訳ではなく、積極的に活動しない者(自分)にとってはひたすら暇な4年間
だった。

浪人したけどなぜか英語は大嫌いだったはずの自分が四谷にある大学の法学部
に引っ掛って、4年間をすごすこととなった。

法学部に入ったのは就職が良かったから。本当は仏文科とか哲学科とか行き
たかったかな。高校時代は1日2冊くらい本をかかえて、2冊を並行したり
交互に読んだりしていた。サルトルの全集とか安部公房とか開高健以降の
芥川賞が輝いていた時代の歴代芥川賞作家の本とかを片っ端から読んでいた
から。

幸い、前半は山歩きの体育会に引っ掛ったので、福島から県境を13泊14日
で青森まで縦走したり、西表島を13泊14日でジャングル横断とかしたり、
青森の帰りに竜飛岬であった女の子と青森まで歩こうとか言って夜通し歩いたり、
西表島帰りの沖縄のユースホステルで年上のオネエサンと知り合って遊んだり、
まあ、それなりに楽しかったかも。

でも、大学生活はあまり記憶にない。みんな授業に出てなかったのでたいして
仲良くもならなかったし、授業には元々興味がなかったのでバイトみたいな感
覚で最低限単位がとれるくらい授業に出席した。バイトって言うのは働けばお
金もらえる。授業は出れば単位がもらえる、まあ、そんな感覚だよね。

確かフランス語の授業かなんかで、社会人に必要なのは知力と体力とやる気
とか言ってたのを覚えてる。その時に自分はやる気ないからムリとか思ってた。
(口には出さなかったけどね。)

それでもバブルがはじけてなかったので、就職は圧倒的に学生の方が優位で
一部上場のメーカーに入って今に至る。同級生はかなりの比率金融に行った。
自分は成績が悪かったから声がかからなかったけど、それでも、某損保は面
接したOBが気に食わなかったので最終面談を辞退したり、外資系のコンピュ
ータ会社にも内定をもらったりした。

今の景気とか見ると恵まれていたけど、社会人になればそれなりに揉まれて
大変だったかもね。いちおう、ゆとり世代とは違って24時間働けますかみたい
のが当たり前という時代だったので、今の感覚だとブラック企業的な労働環境
も我慢して、石の上にも三年みたいな感じでがんばって、いちおう生き残って
いる。

レジャーランドとかいっても4年間だけの話で、その他の年はひたすら勉強して
いたか、働いていたので、4年くらい遊んでもバチは当たらないかなって思うなあ。

今の大学生は、結構勉強が大変らしいけど、世の中が物わかりが良くなって、あま
りガリガリ勉強したり、死ぬほど競争したり働いたりみたいな感じの社会でもない
んで、4年間は楽しくないかもしれないけど、それを差し引いても自分たちの時代よりは余裕があるんじゃないかなあ。

コンピュータ系の異業種研究会なんかに参加してるけど、企業の方もそういった
活動に若い人を参加させたり積極的にしていて、仕事面でも負荷を減らしたり
物わかりがいい感じに見える。

まあ、自分たちの方が忙しかったとかいう気もないし、どっちが忙しいとか不毛な
議論をする気もないので、この辺にしておく。

大学生活は充実していようがしていまいが、その後の社会生活にはあまり影響は
ないのでは。個として社会にどれだけ注力して、どのくらい稼ぎたいのか、社会
人になるとそのあたりが問われるってことだと思う。

要は個人がどう生まれてから22年をすごしてきたかってことなんだろうね。

あ、脈絡のない話になっちゃったかも。(わら)

最近のアニメの終わったような終わらなかったようなエンディングについて考えてみた

境界の彼方っていう京アニのアニメが終わって、すでに

3か月以上経過しているんだけど、アニメが終わった後も、

このアニメについてモヤモヤっと考えていた。

 

ストーリーをかいつまんで書くと、妖夢って言う妖怪と人

間の半妖の主人公、異界士という妖夢ハンターを生業

としている、自分の血で刀とか武器を作れる能力を持っ

た呪われた一族の栗山未来、その他妖夢出身、異界士

出身のサブキャラたちが日々の生活を通してふれあう

ことで信頼し合って自分を取り戻していくような話。

 

人間のふれあいとか友情とか素敵なので、人生も捨て

たもんじゃないよねみたいなメッセージを視聴者に送

っているアニメだと思う。

 

で、訳ありの主人公やだんだんと見えてくる登場人物の

経歴や宿命などなどを紐解きながら、話が展開して、最後

に主人公の中から世界を滅ぼすような凶悪な妖夢が出て

くるが、結局は主人公がその妖夢を受け入れて共存する

ことでエンドって言うような話だったと思う。まあ、うろ覚え

なんだけど。。。(わら)

 

妖夢って言うのは、主人公のダークサイドのメタファー

なんだろうなあ。

 

なんとなく訳ありの部分は、エンディングを迎えても完全

に明確になっていないし、ちょっとムリヤリこじつけっぽい

ところもあって、エンディングは終わったような終わらな

かったような感じで、なんでそれでもおもしろかったんだ

ろうとか、なんでこういう結末になったんだろうとかずーっ

と考えていた。

 

これはこのアニメだけに限らず少なくとも自分が見ている

最近の深夜時間帯で1クールで終わるアニメには大体

当てはまる傾向がある。

 

で、今日思いついたのはこんなこと。

 

メインテーマが友情とかふれあいがあるので人生捨てた

もんじゃないよね!ってことなんで、話の展開は二の次

なんだと思う。

 

日々の会話を通して交わす言葉とか、イベントが起きた

らともに戦ったりするところで信頼が深まって、メッセージ

は毎回毎回伝えているので、話の展開はとりあえずつじ

つまがあって、終わりだなって認識できちゃえば十分って

カタチになるんだろうって思う。

 

むしろ大事なのは1話1話で触れ合ったり、交わす言葉だ

ったり最近のアニメはそういう枝葉の枝の先っぽを愉しむ

ものなんだろうね。

 

なんか、世の中的にはアニメ業界が多忙でスケジュールが

過密だとか、ラノベ的なシナリオが無意味にイベントを多発

してつじつまがあわなくなるとか、見ている若者の側の思考

停止とかネガティブなとってつけたような反応が多いけど、

アニメの醍醐味はそういうステレオタイプのものではないと

思う。

 

だって、楽しんで見ている自分がいるんだから。

 

楽しく見れているって言うことは、自分が楽しめる【要素】が

必ず埋め込まれているってことなんだって思う。

最近、一生趣味を全うする人が一番幸せなんじゃないかって思うようになった

社会的な成功者って、切れ者とかでどんなに頭が良くても絶対時間の多くを会社に捧げているので、自分の時間というよりは会社の利益を得るための活動に時間を割く必要がある。


どんなに仕事一途で仕事が趣味の人間でも、プライベートのない生活は自分の時間を過ごしている感覚を持てないはず。


仕事第一とか仕事がすべてというのは幼少期にひもじい思いをして働かないと生きていけなかった戦後~高度成長の昔の感覚だと当たり前であっても、高度成長以降に生まれた若い人の感覚だと自分の時間のない生活が幸せだと感じる人は少ないはず。


逆に自分の時間を過ごすということは、自分の時間を多く持てることであって、趣味の時間に多くを費やせる人が幸せっていうことになる。


また、会社の上部に行けばいくほど、マネージメントの仕事が増えて、膨大な雑事と向き合うことになる。

特に人のための雑用が増えるという点は、不幸以外の何物でもないと思う。


もっとも、仕事の他にも、家事とか子育てなどもあるので、そのあたりを無視して趣味に没頭すると家庭の危機を迎えることにもなり、私生活が不幸になってしまっては幸せとは言えないかもしれない。


あるいは、家事や子育てからも解放されていて、趣味に没頭できる人が今の世の中で幸せなのかもしれない。


というようなことを、考えている。

ムラカミハルキさんのデタッチメントについて考えていること

ムラカミハルキさんの初期の小説に出てきた、社会とのデタッチメントについて、

タマに思い出してはなんとなく考えてきたけど、今の社会では個人が内向きに

なって、自分の利益を第一に考えたりする人が増えたり、今まで社会に所属して

いることで得られた恩恵のようなモノがなくなりつつある状況なので、すでに

心はデタッチメント気味で、羊のような人っていうのがだんだんいなくなって

きているのではないかって思う。

 

そういう意味で、過去にこういう社会になることを先読みしてくれたという意味

では凄いって思うけど、今ではデタッチメントが自分の立ち位置になってしまっ

ているので、どこにもいざなってくれない初期の小説については、役割を終えて

しまったのだろうかとか考えている。

 

ムラカミハルキ氏に限らず、社会からの自由とか、ポストモダンとかそういう

時代のモノはおんなじ。すでに古典になってしまっているのだろうかとか思う

んだよね。

 

まあ、そんなとこ。

 

低山、地図上に自分しかいないセカイ

ちょっと仕事に忙殺されていたのと、アベノミクスに乗じて今年の
飲み代軍資金稼ぎに追われていたけど、今日の暴落でマイナスだった
軍資金が多少プラスになって、今年の飲み代くらいにはなったので、
株はおしまい。また、平穏な生活に戻りたい。

デイトレの人とか、毎日、暴落の悪夢みたいなイヤー緊張感に常に
苛まれそうで、自分には無理だなあ。心の根底に自分の望む方向とは
逆方向に行ったりする悪夢みたいなカタストロフとか破滅とかそういう
のが、心の根底に常にあるって言うのは嫌じゃないのか。あるいはデイ
トレーダーにとっては株式相場って言うのはそんな文学的なシロモノ
ではなくって、科学とか数学チックなものなんだろうか。

話がそれた。閑話休題。

とりあえず、奥多摩の低山に行きたいな。メジャーなコースはダメ。
人がいっぱいで、さながら人に会いに行っているようなもの。

東京に近い奥多摩でも、林道なんかのコースでは地図上で自分しか
いないコースていうのがある。誰もいない、尾根を上ってくる風で
木がざわざわ揺れている音と自分しかいないセカイにいると、最高
に幸せなんだけどね。

人のいない世界に立っていると自分の存在感が濃くなって、生きている
実感がして、自然のやさしさにつつまれて溶けそうになるんだよね。

まあ、味わってみないとこういうのはわかんないと思うんだよね。

ニナミカさんの写真を見て思うこと、女の人はきれいな背景に自分が写るとキレイに映ってるって思うのだろうか

蜷川実花さんの写真はカラフルなイロドリでとっても好き。南国とか花や風景を
撮ったものが特にスキ。映画も、サクランとかから見ていて、土屋アンナさんの
花魁とか、菅野美穂さんのふすまの隙間から見えた情事シーンの背中とか、シーン
のつなぎ目に映し出されるカラフルな金魚とかインパクトがあった。

写真展なんかも何回も行っているし、サイン会でちょっとだけ言葉を交わした
こともある。数秒しか接していないので合ってるかどうかはわからないが、会っ
た印象は意外と乙女チックとかそういう感じではなく、体育会系でさっぱりサバ
サバしている感じがした。

でも、ちょっと例外もある。これは初期の頃から思っていたんだけど、写真展とか
で女の人のグラビア写真とかのニナミカさんの写真を見ていると、この人は背景に
負けているみたいな人がいて、なんていうか背景が主役で、モデルの女子がかすん
じゃうみたいな写真が結構ある気がする。

あくまで、個人的な感覚なので、ご容赦していただきたいけど、他の人はどう
思っているのかなあ?特にメンズの意見を聞いてみたい。

あと、モデルさんはどういう気持ちでニナミカさんに撮ってもらっているのか?
もしかしたらキレイな背景の写真に自分が写ると、ニナミカワールドのお姫様
とか住人みたいな感じになって、自分もすっごくカラフルに映っているって思い
込んでいるのではないかって気がしているんだけど、どうなんだろう。

ニナミカワールドをプリクラのフレーム感覚で見ているような人がいそうで
なんか違う気がする。客観的に見るとフレームに負けちゃう人もいっぱいいる
と思う。

とか、考えていた。

 

哲学っぽく生きる意味を考えることと恋愛の関係

哲学っぽく生きる意味を考えることと恋愛の関係とかちょっと
妄想を膨らませていたんだけど、恋愛に対して哲学的な意味とか
考えた場合どうなるんだろうかって、ふと思った。

まあ、なんでそんなことを考え出したかっていうと、初期の頃、
哲学っぽいテーマで小説を書いていた川上未映子さんの「すべて
真夜中の恋人たち」っていう小説のヒロインの恋愛がよんでも
よんでも味気なかったので、そこからいろいろ考えを膨らませて
いる。

常に意味を求めている人が恋愛感情を持つのだろうか。

あるいは恋愛中は熱病みたいな状態になっているから、相手がな
くてはならない人に化けるっていうこともありうるかもしれない
のか。

大くくりで恋愛が結婚とか出産のプロセスみたいな位置づけだと、
人類の存続みたいな意味を持つね。

でも、具体的な事象として目の前の恋人に意味を求めるとしたら、
昔でいう高めあい結婚とか、種としての優位性とか、そこまでいか
なくても社会的な協調性なんかのスペックの高さとか、もっと通俗
的な意味では、身体能力の高さとか、音楽センスとかでもいいのかも。

話が面白いとかっていうのもありだよね。

相手がおんなの人だったら美人さんとか、スタイルがいいとかそう
いうのでもいいのか。

違う切り口で考えると生物学的には、種の保全の本能が働いて自分
と違うタイプの人を選ぶらしいけど、それでありながら結婚すると
いろいろな違いに直面して、熱も冷めてくるといろいろあわなくて、
行き違いが生まれて、いよいよ容認できなくレベルになると離婚と
かってことにもなるらしいね。

まあ、そこまで考えると、パートナー選びが実は理不尽なもので
哲学っぽく意味を考えるみたいなテーマとしてナカナカのものになる
かもしれない。

自分的にはもし川上未映子さんみたいな女の人とつきあったらどう
なんだろうみたいな、ものすごく低いレベルのことも考えたりする
けど、男は単純な生き物らしいので、恋愛ってテーマは、俗っぽい
ことから生物学レベルのテーマまで、いろいろ混ぜこぜで考えたり
できそうなので、テーマ的に哲学の対象・題材に資するかもしれない
というのを結論にしようかな。

生きる意味みたいなことをストレートに考えると話が膨らまないし
考える題材としてつまらないし、結論もなんかパッとしないので、
妄想チックに考えたりできるテーマを考えた方が、考えることが
面白くなるかもね、とか、思った。